- 2章45節:アルジュナよ、ヴェーダは主に物質界の3性質を説くが、この3性質と2元相対を超えて、自由になるのだ。純粋な特性を保ち、富の蓄積や財産を守ることに心を煩(わずら)わすことなく、知性を使って魂としての自分を確立せよ。
純粋な特性保つのも執着するなと言ってくれていて、一時的な消えゆくものに、心惑わされるなと。それをどうやってするか。知性仕えとは、知識とは違う頭がいいとはAIもそう知識がいっぱいある、我々の暗記能力は超えていて、これをどうやって使うが知性の役割。知りたい哲学探究していると。
2章46節:大きな湖は、井戸の役目をすべて果たすように、至上主を崇拝すれば、ヴェーダのほかの目的はすべて果たされる。ヴェーダの真義を知るブラーフマナ(主の信者)は、このことを知る。
おおきな湖は井戸のように役目をはたしている。我々は井戸にこだわるが、大きな湖の視点だと水がなくなることも、くみに行かなくても、豊潤。クリシュナを崇拝するとすべてのヴェーダのこと網羅できるよ。理解したら他のもの理解できる果たしてどうか

生涯で行う修業でなんで修行するのか
幸せになりたい、不安無くしたい、意味を知りたい、永続する者に触れたい
そういうとこから修行。
すべてはクリシュナを忘れて居る親魂忘れているから、一人で生きていかなくなると一人で調べなきゃならない助言もらえない、親に頼れない、自分のお金の使い方だとお金たまらないとか、幸せになり体もわからない。親がいなくなると急に不安になる。親を忘れることが以外に4つの状態になるのは家族生活で分かるように。
47節:君は定められた義務を行うことは出来るが、その行為の結果を決めるのは君ではない。決して、自分が行為の結果を思うままにできるとは考えるな。また義務の遂行に怠惰(たいだ)になってもいけない。
結果を追い求めるな。
何でこの順番で語られているか。
いろんな問題にとらわれるな。何でこの並びで書かれるか。
すべてを網羅することでいろんなことが理解できる。クリシュナ愛すると問題が網羅されると46節で言って、47でいろんな問題網羅されるけど結果にとらわれるなと。急に結果に執着するなと言ってくる。さっきまでクリシュナ崇拝しろと言っていて。人間の行動原理と同じで、なんでこの並びで書かれているのか、人間の行動って、どうやれば結果を変えられるか知ってますか?目標の結果とか、結果ありきで行動すると間違う。

私たちの行動は無意識で出来ている。個体として無意識95%、有意識5%。何で作られているか先天的無意識。
生まれ持った特徴、生まれつきうるさい子がいたり泣く子がいたりうるさくて元気、おとなしい子もいる。私は親が心配するくらい泣かなかった。生まれつきあんまり傷つかない、強い子もいれば。繊細で泣く子もいる。うまれつきの性質。ちいさい子も。体の特徴から大きい子はどしっとして、小さい子はなく、生まれ持った性格。
次は無意識はスキーマで出来て言える
技術みたいなもの。見ないなもの身に付けたもの歯磨き目をつぶっていてもやっている。決意してやるひとなく、無意識で同じチューブ間違える。洗顔フォームまずい、歯磨き粉付ける。身に付けて習慣からスキーマー技術職もそう、再現性、パターン化されたもの。経験したこと体が覚えている、それをスキーマーという。無意識には影響与えない。
人の行動変えるのは一番は信念。何を信じているか。信じれない人は体固く、何を信じているかが大事

信念から感動出てきて行動出て結果。
何を信じているから無視して結果から動くと心とばらばらになる。
例えば、小さいころ女の子にもてたくて、小学3年生でおしゃれしたらぶざいくと言われた。この自分はおしゃれするとぶさいくという信念になってしまう。おしゃれ辞めて黒着るようになる。何も言われなくなる。そこで、ちょっとでも、ピンクの制服着ているとぶさいくともしかしたら周りに言われているから怖くなりピンクの会社にいられなくなり黒い服の会社を入社したいになり、結果会社選ぶ範囲が狭くなる自分の才能発揮できない結果になってしまう。
信念は
18歳までで作られると言われる、信念を何に置くかによって結果が決まる。ヨガでも同じ、バクティー大事、信念大事、クリシュナは至上主への崇拝、愛情を一番におけという。世の中の価値観は愛の人もいれば、仲間意識、家族意識、自分の豊かさ、成功を価値観、成長も価値観におく人もいて人によって違うがバクティーは愛を一番に置けと信念をクリシュナにして愛を一番の価値観へおけといっている。
まず47節、結果ら行動するな。信念に動かされている人間が結果動くと間違う。元気なくなるよ、結果に縛られないのが大事で人は信念を愛に置く、純粋な愛からようやく行動できる。愛を人が動かすよ言っている。結果が人を動かすのでなくて、信念で人動かす。脳科学と一致している。
48節:富の征服者(ダナンジャヤ)よ。(バクティ・ヨーガに結び付けて)義務を忠実に行え。そして成功と失敗とに関するあらゆる執着を捨てよ。このような心の平静をヨーガというのだ。
成功しても失敗してもあなたの価値は変わらない、信念が愛だとしたら愛する事実に変わりない。成功も失敗も考えるなと。
49節:ダナンジャヤよ。見返りを求めて仕事をするのは、奉仕の精神で仕事の結果を主に捧げる事(ニシュカーマ・カルマ・ヨーガ)よりはるかに劣る。すべての結果を至上者に委ねて活動せよ。報果を期待して働くのは、哀れな人間である。
結果から行動すると哀れな人間になる。奉仕の結果は捧げて信念を愛にもっていけと言っている。それがいかに大事か次の節でも語っています。
50節:(仕事の結果を放棄して)知性を至上主に結び付けた人は、すでに現世においても善悪の行為から離れる。ゆえにアルジュナよ、(ニシュカーマ・カルマ・)ヨーガに励め。これこそあらゆる仕事の秘訣なのだ
知性を至上主に結びつけるとはなにか。善悪の行為から離れ、あらゆる仕事の秘訣と書いてある。
愛を価値に置けといった、信念を愛にもっていけと、我々の知性が、信念を仲間、家族、旦那やお父さんお母さんが言っていることが絶対だとどうなるでしょう。その人がいないと生きていけなくなる。愛を取ったときどんな時感じるか。たいていの人は言う。お母さんがご飯作ってくれた、自分の話聞いて、時間取ってくれたとき。必ず他者を必要とする。これをなんというか。依存という。人から愛を欲しがる依存者。そういう状態で幸せになれない、人から何かちょうだいの人は仕事上手くいかない。信念を愛にもっていっても生きている人間でほしがる愛、信念もを持ってしまった以上、人から欲しいほしい人は幸せになれない、結果に執着するなと言っている。こういう風に自分見てほしい、こういうふうに時間使ってほしい、こういうふうに行動してほしいは結果に執着の愛になるので、信念どころか感情が狂う、いかりが出て、悲しみ、人に結果もとめて愛と思っているから、人に愛情依存している以上自分の感情は右往左往する。行動もおかしくなる。人を避けたり喧嘩したり、ここでゆうのは結果を期待しないで、信念を愛にクリシュナへ。クリシュナいないと生きていけないと思うわけだが、クリシュナに知性預けるとはどういうことか。ヨガでは信念をクリシュナに預けるとは、クリシュナ見えないからクリシュナに与えてもらったもので確認できる。
まず体。呼吸。生きていくには。あらゆる仕事の秘訣の知性を至上主に結び付けるは、最初にまず与えてくれた体を大切にする。クリシュナが与えてくれたものを大切にする。親孝行したいと子が言う、自分の体粗末にしてるのに、親孝行したいというのはナンセンス。子どもたちよと自分の体大切にしてから親孝行語れ。なにをいっているんだと自分の体肯定しないで、親孝行するとか師匠大事なことちゃらちゃら言っている。自分の体大切にしない、次に呼吸。呼吸欲しているのに呼吸止めてまで何か行為する結果執着する、馬鹿者。死ぬぞ、呼吸しないと体固まる。知性を至上主結び付けるは親孝行と同じで与えられた身近なものから順々に大切にしていくこと。体、呼吸、知識師匠仲間、大切にしていく。何で師匠大事か、体と呼吸大事と教えてくれるから。この知識すらなかったから、知識を教えてくれる人。一生自分の体大事にしない、呼吸しないで、師匠大切するなんて夢物語妄想語って行動してしまう、教えてくれる人を大事にしなさいね。いろんな特徴持って生まれてくる。
親に恵まれない、体が人と違うとか、幼少期に嫌なこと、先生も食べるもの困ったのは安全を奪われ、生きるが常に心配だと大人になっても安全を感じない。バクティーは身近なものから愛情持たないと結果執着の人になる大切な教え。怒りになり、寂しさも出て体を大事にしない行動をとってしまう。どんな結果を得ていたとしてもいつか終わる。土台、基礎、信念固めないと行動と結果上手くいかない。仕事の秘訣だということを教えてくださっている。たった5節に真理が隠れている。
親ごさんはまず親孝行教えていけるような状態を保つ、自分の両親がいない方もいますが自分の体大切にできる年なので与えられたということ思い出して体大切にしていきましょう。