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2章32節

2章32節:ヴリターの息子よクシャトリアとしてこのような機会にめぐり会うのは誠に幸せなこと。天国は彼らの為に門徒を開いて待ってくれている。

アルジュナがクシャトリアの役目と。日本でいう武士の階級、くらいが高い階級。お坊さんの次に高い、そのようなクシャトリアの義務に巡り合えたのは幸せと。天国は彼らのと書いてあるが戦場で戦って自分の義務を全うして死ぬ。道徳上よくないと。でも義務を全うして死ぬなら天国に行くよと。先祖というのは待っていると。なんで義務を全うするのがいいのか。何でクリシュナが義務義務いうのか。クシャトリアが大事か。

2章33節:だがもし君の義務であるこの正義の戦いに参戦しなければ、義務不履行の罪に犯すことになりクシャトリアの名誉を失うのだ。

名誉を失うようになると、1章でアルジュナも失うと言っているが、クリシュナがあおってくる。クリシュナが嘆いている人にクリシュナはどういう対応したか、師匠として困っている人の寄り添いのポイントになる、BBG立ち振る舞い形から学ぶ。言葉からとるのじゃなくて

34節:後世までの人々は常に君の汚名を語り続ける事だろう。名誉あるものにとってこの屈辱は名誉あるものにとって死よりも耐え難いことである。

最初アルジュナ言っている、汚名を語り引継ぐより殺さないほうがましだ。戦いから逃げたい。名誉あるものって、そんなものあるっけ、今までのクリシュナの先生から聞いたことでも、いい悪いはそんなないよ。クリシュナが師匠としてこの職業名誉あるよ、ないよっていうんだと思う、これが深く、全員に言う、なんでみんな、体が与えられている時点で名誉だし、あなたが魂が名誉だし、師匠はそういう見方する。名誉ある人にとって屈辱は、のちに分かる。義務を果たさないイコール、肉体のポジションじゃなくて、義務を果たさなかったこと魂としてクリシュナに戻れない、そもそも我々の魂は大きな魂から自由もらって家出した、堕落した魂は、いろんなこと吟味すればいいがBBGはこのまま進める、家出したと想定してください。親を泣かせた、何で泣かせた。家出した、何で義務与えられ自分は使って帰ろうとしないが、親もと離れた方分かると思うが、何で親のそばにいられなかったか。働けなかったのか、親の死にざまに会えないかもしれないを背負って離れる決断して遠くにいる。親はいいというが、われわれ自身どっかで申し訳ない一人にさせたくない親の近くにいてあげたい思う。それ考え名誉ある魂にとって、魂意識目ざめてかもしれないじゃない後悔する、何で離れてしまったのかと思う。そういう時いつかくるよとメッセージ、義務を全うするは生きる意味になっている。帰るるための生きる種ヒントになるっつている、自ら手放す生きてる意味にもなってないことを書かれている。そんな愛のない人生に意味があるか高まってくる。、それは高まってこなくても大丈夫で、いつかヨガの学び続けて体なんだと重なるほどわかる。

35節:今まで君をたたえていた武将たちは、君が戦いを恐れて戦場から逃亡したととおもい卑怯者よと臆病者よと軽蔑するだろう

臆病者卑怯者があるが、ご先祖も戦ったからお前は国を捨てて逃げるのかと軽蔑するよ。ヨガの先生たちが最初にぶつかる壁、自信がない、声が出ない、自分が正しいと思っていないから自分に自信がない、指導するなんてとんでもない思う。不安になる。それって何がそんなに良くないのか。私はその義務果たすのに内なる批判、自己否定が起きている。育ててくれた人に申し訳ない、その知識与えてくれた人にも申し訳ない、体を放棄する段階に入っているのが臆病で軽蔑するところだと感じていく節、ヒマギリ先生自己否定嫌い犬に食われればいい

36節:敵方の者たちはこぞって聞くに堪えぬことばで悪口を言い、君の能力を見くびって、ののしるだろう、これは苦痛があると思うのか

自分の持ってるもの家族の悪口言われても怒こるが、体の悪くいうひと怒る人いないが与えられたもの否定すること師匠は嫌う。じゃないと帰れなくなるから、親魂の元へ、

37節:クンティーの息子よ君が戦死すれば天界にいって天国の幸せを味わい、勝てば地上のおうこうの栄華を楽しむのだ。だから立ち上がって戦う決心をしなさい

37から真逆の視点。今までは義務を果たせないのは否定される、37節は天界に行って戦う決心すれば物質的利益みたいなもの提示している、これがあるよこれがあるよという言い方、物質的利益を提示している。これ、次の節につながるが、36まで損するよ、37まではしあわせになるよ喜ぶよという言い方

38節:幸不幸損得勝ち負けなどいっさい考えずただ義務として戦うならば、君はけっして罪を追うことはない

損得の話しといて、損得一切考える季節の変わり目だし、無理しないほうがいいよ。体ちょっとね。台風とか梅雨時とかで気圧の影響体受けやすいからちょっと体んだよね。みんなる範囲で無理しないでやっとけばいいな、何でそうしてるのか、損得のお話しといて、よく師匠はするこういうあおり方する。ようは、何が言いたいか、どっちにしろ、どっちを選ぶにしろ矛盾だらけなんだとこの世界は、戦っても人を殺すし、殺さなくても国の役割放棄になるどっちを選んでもこの世界は矛盾があって間違い、誰かを傷つける泣かせる世界なんだと。だから損得言ってもだれから損して得する。自分の損得考えても意味ない、どうせ誰かの損得受けていてこの世界は矛盾だらけ、これを500円で買ってもどっかの国では日本でコスパ良いかもしれないが、寝ないで低賃金で働いているかも、矛盾だらけ。どっち選んでもある、何を基準に生きるか、義務を全うするほうがいいんだと。で、何で義務を全うしたほうがいいのか、説明があるんですが、これから、与えられたもの順に大切にするのが見えない与えてくれるものとの愛情を深く愛情をはぐくませてくれる、見えているのもの損得考えると交互におきるので苦しい何が正解か分からない、でも見えないものとの存在を大切にすると結果損でも得でもない自分に与えられているものを大切にしなさいと教えている。見えないもの大切に生きると何が起きるかみんなが実践してほしい、これからBBG書いてありますが、損得のない世界がある、よくよく考えるとそうだな、何で水道屋、大工、建築家、IT企業、商社マン銀行看護師、美容師、何でそういう役割がたくさんお父さんお母さん子供の役割、仕組み的にその役割があるから職業が続いて仕組みに合っているから続いている、集団で生きていく、ホモサピエンスは集団で助け合うのはこの役割があって、今全員で生きていける。もし誰かの損得だと戦場になってしまう、社会が回っているホモサピエンス文脈考えても役割全うするほうが集団で助け合うから人間は生き延びてきたんじゃないかな、役割全うするは全員幸せになる方法だな、今の現代でなお思う。好き勝手生きる人がいると損得で、いるが、それを重視しているから苦しむ人ばかり、役割全うするのは美しい。集団で生きていくのに美しい。クリシュナそういう風に世界作っている、その役割全うして生きられる方が、たくさんの人が幸せに向かう方向、世界全体見たり俯瞰してみるとわかる、人間はとっくに絶滅しているとおもう。役割全う助け合うがなければ、役割がある義務、体があるは性質に従って生きていくべき、自然じゃないから病気になったり不具合になる、仕組み上。すごく理にかなっているな、人間の性質、ホモサピエンス集団で長期的に生きていける、いろんなこと重ねても役割全うするは理にかなっている。絶対みんな認識していないだけで無意識なだけで目に見えない何かの構図とか何かのルールに従って生きちゃっていると思う。体の通りになってこのからだとっても、誰かに支えられないと生きていけない、生きているだけで体固くなる、マッサージしていて届かない場所がある自分の手では当てられないところがある。人に手を届かせてもらえないとほぐせない場所がある。手が届かない、つながるように出来ている。野菜も一人で食べきれない、何で食べれる量で野菜は育たないのか。向いても向いてもキャベツ、なんで一人で完結する量で枚数重ねてないのか。イチゴみんなで食べるとおいしい、でも1個じゃなくて、いっぱいなるから食べきれない。一人で食べきれない分かち合うようにできていて植物もこの野菜も応援して誰か繋ぐためにあるの、なんか、すごい世界だな。目に見えない暗黙のルールに動かされている。自分でコントロールしているようで野菜が食べきれないので料理を作って分かち合う。美しい。そしたらこういう仕組みになっていると体大切にしている人にはわかる、イチゴ育てている人分かる。食べきれない。だからこそ、大切にすれば分かる。体大切にして植物大切にして、分かち合うようにできているとわかる認識しなくてもわかる、野菜とかくばるひと、みんなごはんも配る。それって無意識に野菜たちに踊らかされている。幸せな話。これがギフト。一人で生きていけないような体、食べ物、仕組みにしてくれた見えない存在のクリシュナ。クリシュナは何によって動かされているか。愛から動かされている。感謝しながら。

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