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2章8節から13節

前回2章7節 心の弱さゆえに武勇を失い、どれが義にかなう道か分かりません。どうか、最善の道を教えてください。私はあなたの弟子、絶対に服従します。

ここから弟子と、友達から自分でお願いをした。ヨガの師弟継承の場合師匠を自分で決められます。自分がこの人に学びたいを弟子から決めることができるが、師匠側も決めることが出来て、受け入れることも受け入れないかも師匠側からも選べる。

弟子になりたいと言ったら誰でもいいんだよと思われがちだが、責任持ちたいと思えないと受け入れない。師匠が受け入れるのも簡単でない。先生、一人残らず救おうとしているけど、師匠は重いよという。学びたいでなく師匠は重いという。そんなアルジュナの態度が現れています。あなたに絶対服従しますが出ている。

2章8節:たとえ、天界の神々を支配する力で地上に無敵の王国を勝ち得たとしても、身も心も枯れ果てるこの悲しみを追い払うことは出来ない。

あなたに従う以外他の道はない心もコントロールできません知性より感情が勝ってしまう。

9節:サンジャヤいう。敵を滅ぼす英雄(グダーケーシャ)と称されるアルジュナは、こう

クリシュナに話した後、ゴーヴィンダよ。私は戦いません、と座り込んでしまいました。

お手上げですという状態から師匠の話が効ける。礼拝はお手上げからはいる。もう無理です。シャラナガティー流れの中にいます。師匠からの知識知恵をそのまま受け入れるよ。受け取ります。

10節:バーラタ王の子孫(ドリタラーシュトラ)よ。このときフリシーケーシャ(クリシュナ)はにっこりと笑い、両軍の間で悲しみに沈むアルジュナに向かって語られました。

両軍の間がポイント。前回の覚えてますか。

アルジュナがここで戦っているのは、親族殺害、社会秩序の維持、家族制度と女性の位置、祖先崇拝と世代間の責任、個人の功績否定

アルジュナは役割の間に挟まれてどっちも正しいの間にいるよ、どっちの気持ちもある。分かるよねと。向こうも、こっちも正しい、先生のように宗教義務や、時間の問題あります。その期間の問題と自分の社会的役割。

いいやつでいればいるほど間に挟まれ苦しむ、だって、義務を守ってきたから。仕事一生懸命したら家族を守る義務なら会社辞めますか。仕事辞めないでしょ。何を信じてわからない、体持たないがどうしても学校行かなきゃいけないとか、仕事行かなければならない、自分の体と会社の義務どっちが大事なんだ。義務と義務の間に挟まれ悲しみに沈むアルジュナに語られたということ。

自分の正義とっても社会的に不正。行為をすることによつては、親族を放棄や、行為も罪、生きているだけで罪。自分が何をやっても罪。両軍の間のアルジュナを表している。ここでクリシュナはにっこりと笑う、アルジュナは悲しんでいるがクリシュナは笑っているという状態。

師弟継承でもある、本人が悩んでいるが、見えている世界と師匠の見えている世界が昼と夜ほど違う、本人が暗いと思っていたことが、師匠には明るいこと。そう考えると師匠が性格悪い人みたいで、これは大変な問題だ。師匠が本人にとって闇深い問題とおもっていても、本人は明るく見える、視野が全然違うを表している。感覚の主人がフリシーケーシャ。なぜ笑うか。面白いから。私泣いてるのになんで笑う。私は旦那とけんかして泣いて、何でと、怒られたと笑われたこと、生徒を思う事がある。マハラジは周りが泣いていても笑っているを思い出す。何が見えているのでしょうね。

ミカン箱

ミカン箱の中にいるうちはミカン同士で比べるよね、

ミカン箱を果物とみているとだって一緒よね

果物行くとイチゴやキウイと争うかもしれない。

ミカンを食べ物とみると果物で一緒じゃん。

仮説。魂としてみたら別に一緒だよねと見える。1直線と見えるのでなく

空間とみると魂の視点で見ると笑ってしまう、何で苦しんでるの、あなたはフルーツポンチも、ポテトサラダも鏡餅でも、どこでもあなたの才能は無現よ、どっちのミカンが大きいとか、オレンジとか、怒ると周りが起こる腐ると周りも腐る、狭い世界で生きていくのとみていると、笑ってしまう、そんなんじゃないで、お母さん子供の喧嘩してきたら笑っちゃう。当時子供の時荒そってきたのに親になると、やれやれって笑っちゃう。

11節:至上主クリシュナ語る。君は博識なことを話すが、悲しむ価値のないことを嘆いている。心理を学んだ賢者は、生きているものにも死んだ者にも悲しまない。

魂の概念がここで登場します。

あなたは肉体じゃないよ。

サンスクリット語プラジャーナベーヤと書いてあるが、知恵のようなことば。話しているようけど、違うよね。殺せば苦しむでしょ、親族もたたられる、供養されない。師匠の目線からは見えている。魂ってホントにあるのか。仮説で立ててください。最初学んでいるときピンとこない、ヨガは化学と言われているので自分で確かめて、次から化学が書かれています。

12節:私も君も、ここにいるすべての王たちも、かつて存在しなかったことはなく、将来、存在しなくなることはない。みな、永遠に存在し続けるのだ。

魂の特徴が書いてある。

ここにいるすべてのいる人は、永遠性があるよ、魂は永遠。肉体は死ぬかもしれないが。

魂は死なないよ。仮説です。

13節:肉体をまとった魂は、幼年・青壮年(せいそうねん)を過ごして老年に達し、死後、肉体を捨てて別の体に移るが、賢者はこの変化に惑わされることはない。

肉体の特徴ですね。魂が肉体をまとっている

肉体を乗り物としている。馬車の様に乗っている。魂としてみている人にとって変化は大したことはない。BBGって宇宙や人間の取扱書が書いてある。結果が書いてある。人間と宇宙の取扱書がこんな薄いわけない。広辞苑だって持った熱い。過程だと書いていると思う。自分に実践しないとわからないので、過激に思う。結果だけ書いてあるのでプロセスに小さな脳みそで結果悟るな。過激と決めつけないでどんなプロセスがあってこの結果になっているのか、みんなで語り合ったり経験語り合ったり。嫌われるから、普通に話すと。仮説を立てると。ヒマギリは救われた。父母の介護してBBGに出会い、あの二人は生きているという感じで救われた、あの二人まだ幸せになるじゃんと思えた。誰の死に巡り合っていない。自分のお父さんもお母さんもお爺さんおばあさんも元気だとわからないが、肉体捨てる感覚が遠い、父母の体脱ぎ捨てるとこ見取ったのはギフト。あの苦労して愛をささげた後にまだ生きている永遠と、また会えるし、まだ幸せを祈れる、仏教の供養もアルジュナが供養できないと思るのも理解できる、介護したが介護でない。ただ見送っただけだな。見送った人は感じることできるんじゃないかな。

 

 

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