G-EKST1G1L4F

2章57節から60節

2章57節:属的なものに愛着せず、よきことがあっても歓喜せず、不幸に直面しても嫌悪しない人は、知性が定まった人である。

執着と愛着の説明を前回説明。俗的なものに愛着も間違っていくよと、酷な話。見えているものって愛着していくとそれがなくなるとえらいことになる。価値観というものを成功とか成長とか、家族、仲間に愛着し過ぎると、1番にすると、いろんなことに嫌悪したり苦しみ生じやすくなる。不幸に直面しても嫌悪しない。いい悪いにとらわれない知性が定まった人という特徴は属的なものに愛着していないよ。

大切にするなと言っているわけでなく愛着ぐらいまで行くな、大切にするとは使うという事、愛着になっていく大切にする、何かの為に俗的なもの使っていきなさい。家族夫婦だと恋人でも仲間でも愛着し過ぎた仲間おしゃべり多くてやることやらなくしゃべってチームになり成長しないで解散する。そこに目的に向かう、それを体、こころ使って目的に向かわないと、ここでは大きい魂に向かうをみんなで向かわないと、今仲良くてもいつかそこに飽きが来て、お互い見合っていると喧嘩絶えず、飽きがくる。同じ報告見て、目的目指す目線合わす、愛着は目をお互い見てしまう、目を大きい魂のほう、師匠に向けましょう。愛がある話、無関心と違うのでちゃんと目指せるものがある、すごい喜び。自分の為自分の時間使ってこの人といると安心してその人ばかり見てると心配。

58節:カメが手足を甲羅に収めるように5感(視・聴・嗅・味・触)の対象から自分の感覚を引き払うことのできる人は、知性が固定したと言える。

5感を引き払うことができるというのは自分の五感をものとか愛着しているものからさらっと取り除くことで、俗的なものに愛着してしまうとそこから目を離せなくなり。恋した時目がおってしまう。

59節:肉体をまとまった魂は禁欲しても経験してきた味わいを記憶している。だが、至上主(パラマートマー)を覚えることにより(上質な味わいを得れば)その記憶も消失するのだ

わざわざ欲を禁止して、例えばタバコ、お酒辞めよう。俗的なものに執着しないように、禁止にしなくてもより上質の味わい経験すると辞められる。先生チョコ大好きで棚にいつもある。甘くておいしい黒くておいしい。二箱インド持って行ったら当時売ってない、高級食品。5年前手に入らず。一粒も食べたくない。ヴリンダーバンは味わい深い。満たされた。愛の前では欲求が減る。

インドと聞くと汚いほこりいっぱいあると思うが気にならなくなる。牛のうんち平気になる気にならなくなる、まーまーキレイ。味わいが執着消してくれる。上の味わいというのは。清潔にこだわる人繋がろうとすること阻む(はばむ)くらいきれい、清潔にこだわっていく、無臭とか消臭、においするの当たり前だから嗅覚落ちる嗅覚落ちると感動しなくなる。そっちにも執着する。きれい好きも執着していくよ。それすらヴリンダーバン取ってくれ、欲求けしたから執着していたとわかる、執着している気づかない、執着手放してくれるあさしいぬるま湯につかっているような。禁欲しなさいはルールは厳しすぎて、よくあつの感情はたまり爆発する、バクティー以外に欲求を消す方法、愛という味わいが消してくれる、他のヨガもいいがバクティーの良さ話したい。

60節:クンティーの息子よ、感覚的衝動はまことに烈(はげ)しいものなのだ、解放を求めて道を究めようとする修行者の心でさえも、力づくで奪ってしまうのだ。

感覚衝動めちゃくちゃすごいよ。開放求めて、30年50年と人生掛けて極めようとした人、最終的に女性の欲求に負けた人みてきた。いままで聖者見てきた、ヨガ哲学教えてくれる人日本に少なくて、BBGも教えてもらう探さなきゃならない、ヨガ哲学教えてくれる人探した。日常と繋がっていなかった。いなくて。そのくらい、何で探したらこの人かと思ったら自分の弟子に手を出す。本気の恋ならわかるが結婚していたりとか年齢が上なのに20代の女性に、いかがわしさが感じた。変えてきた。知ってる人は体現者。知識で教えてくれる人多いが体感で教えてくれている。何十年やられても感覚衝動というのは強い。その聖者の方は嫌いになることはないが学ぶ場所を変えた。明日は我が身、愛から離れたくないな、愛情の中に居たいな、上の上質味わうと欲求というのをルールや自分否定しなくても。自分の内側の欲求減っていく。BBG学んでから、たばこお酒嫌い、からまれるタイプだから、嫌いだったからお酒自然と辞めてくれた、やめろとは言わない少しずつ、愛情に意識向けられたらいいな。感覚器官は属的なものに束縛されやすいんだな

じゃあ、面白いと思いませんか。俗的なものに束縛は何か、好きなもの食べていいじゃん、好きな人会うの自由でしょといいだす。BBGは束縛、真逆、すぐ。我々の自由の定義間違っていないか。ヨガ的に考えると、師匠と弟子の目はは昼と夜くらい違う、俗的なものに執着している人は自由と思う、感覚衝動を束縛されていて縛られている人に見える。教えている側は苦しそう身動きとれなそう、何が起きているの自由なんぞや。

皆さんの自由と無法の間違い。ダルマがない。無法の事自由と呼んでいませんか。

 

資料①②③

④聞く耳があるかないか、ヨガって繋がることはシュルティーと言われていて。聞くこと唱える事思い出すことが大事なんです。そうじゃないとヨガが出来ない、他人の意見聞く耳があるか、責任のもので動いているか、聞く耳あるか、無法な人は何言っても響きません。心届かない。責任もとうと生きている、時間に余裕がない日と無法で生きているかも時間に余裕が生まれる。

無法だと苦しくなる余裕なくなり孤独になり自分の世界でしか生きていかなきゃいけない世界広いので、苦しさの原因になっていませんか。束縛されているとみる。大事な教えになっていくんじゃないかな、自分の義務ダルマに責任を持っていきましょう。準備が9と言われている、本番は。子供たちが宿題するのも準備する大人になる為だからずっと余裕がないんじゃないんですか。準備9の人間になって責任もって生きてほんとの自由を手にしていけるように。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA