こんにちは!
前回は、どの立場で話を聞くかという事で、
ミカン箱の画像から、魂の目線で読むことをお勧めさせていただきました。
クルクシュトラーという肉体次元で読むのか
ダルマクシュトラーという魂次元で読むのかを説明させていただきました。
1節目で説明をさせて頂きました。
それでは2節目読ませていただきます。
サンジャヤは答えた
ご子息のドルヨーダナ王子は、パンドゥ兄弟の堅固けんごな
陣営を見渡しました。
軍師ドローナチャーリアのもとに赴き、
次のように申しました。
続けて3節目読ませていただきます。
師をパンドゥーンのあの強固な大陣営をご覧ください。
あなたの弟子であるドルパダの息子、
ドリシタヅブナがあれを布陣したのです。
カタカナがいっぱい出てきて、
嫌になってしまわないように
まず画像を見てください。

真ん中上がサンジャヤとドリタラシュトラ王に語っている場面です。
その周りがサンジヤが見た戦場の景色です。
左下にドリヨーダナ
右下にアルジュナがお互いに見合っている場面です。
ドローナチャーヤという人物が出てきました。
左上の画像で
ドリヨーダナ軍のドローナチャーヤのところに行って話している
あなたの弟子である
ドルパダの息子のドリシュタヅブナがパンドゥ軍を集めて準備したと
右上の右がドルパダ左が息子のドリシュタヅブナ
ここでドローナチャーヤとドルパダの関係性を説明します。
二人は子供のころ同じ師匠の下学んで育った友達同士。
古いインドでは子供のうちに家を出て師匠に弟子入りして学ぶ習慣がありました。
その同じ師匠を持つ弟子同士。
そして大人になりドルパダは王さまに
ドローナチャーヤは貧しいが教えを伝える師匠になっていた。
ドローナチャーヤはお金に困り、旧友のドルパダに助けを求めたが、
ドルパダは貧しいものは相手にしないと突き放した。
そんなやり取りでドローナチャーヤは恨みが出来てしまった。
ドルパダもドローナチャーヤとの関係性が悪くなり
いつかドローナチャーヤを殺したいと願い
殺すために生まれたのが息子のドリシュタヅブナであった。
その息子を、修行のために行かせたのが、当時最高の師匠であった、
ドローナチャーヤのもとだった。
ここでの学ぶポイントは
①インドで古い階級では教えを授けるブラフマナであるドローナチャーヤが上で
王さまや兵隊であるクシャトリアのドルパダの方が下で、
師匠が王さまにお願いをしたら、言う事を聞かなければならなかった。
しかし、ドルパダは聞かなかった。義務を放棄したという事。
②ドローナチャーヤはいつか自分を殺すかもしれない
ドリシュタヅブナに対して、学びを伝えたという事。
師匠は、敵でも見方でも教えを教えることにくべてしてはいけない。
平等でなければならないという教え。
ドローナチャーヤは義務を果たしていたという事。
③本当はドローナチャーヤはアルジュナの方に味方したかったが
ドリヨーダナ軍にいたのはなぜか。
それはお金をもらっていたから。
スポンサーからお金をもらっている以上、スポンサーの悪口は言えない。
お金もらっている人のいう事は聞かなければならないという
義務を果たしているという事。
そんな背景で、ドリヨーダナ王子は
軍師であるドローナチャーヤに
あなたの弟子であるドルパダの息子が
敵陣で軍隊を率いているよという皮肉を言っている。
こういう皮肉を言うという群であることも
この3節から読み取ることができます。
師匠が弟子に殺されるというのは、
育てた親が、子供に殺されるようなもので
師匠や親がとても大切と、インド以外でも
言われているのに
あなたは弟子に殺されそうとしていますよという皮肉になります。
起きていることは全然面白い話ではないが、
バガバッドギーターではこういう話が読み取ることができます。
この学びはドローナチャーヤは何のために
この義務を果たそうとしているのかということが、教えのポイント。
この教えで面白いのが、幸せはどの段階のことを言うのかというところ。
よく一般的に言われる幸せは、
この人生で幸せになることと言われていて、
別の学問や仏教なども良い行いをしましょうと天国に行けるよと言われている。
でもヨガではこの人生の幸せだけが幸せとは言っていないところがすごい。
ここで人生100年時代と言われるじゃないですか。
例えば90歳までみんなが考える幸せを過ごしたとしまう。
お金があって、素敵なご主人がいて、子供たちも幸せで
何不自由なくくらしていたと。
だけど90歳になって病気になって、ご主人もなくなり
お金も徐々に無くなってきた。
子供たちも病気になったら、近づかなくなり
孤独になり、病気で苦しみながら10年過ごして死んだと。
その時にこの人生幸せだったかと思えるかという事。
90歳まで幸せで、残りの10年が不幸だった時
幸せな人生と思えないんですよね。
先生が両親を看病していたから感じたそうだけど
愛情のある子供に看病されても
病気で苦しくて、体が思うようにいかないと、心も
弱ってくる。心が弱った状態で幸せと言えるかというと言えない。
自分が生きている時間軸だけで幸せかどうかを考えたら幸せと思えないという事。
一〇〇歳より先の幸せを目指さないと、幸せとは言えないのではないのか。
例えば、スペインにサクラダファミリアは140年以上、今でも作り続けられていて
設計士のガウディーは完成を見えいないんです。
設計図書いた時に、完成しないこと分かっていて設計図を描いているんです。
そして、作っている職人も、子供のころから丁稚奉公から働き
職人になって、弟子を育てて、自分が働けなくなっても
またその弟子が受け継いだ技術を使って作り続けている。
これって自分の人生の中だけで幸せになる概念がなくて
この流れ続けている流れの中にいることが幸せだということだと
思うんですよね。
ガウディーも完成した姿を思い描いてはいたけど
見れなくても幸せを感じていたのではないか。
作っている職人も師匠から教えてもらい
また次の弟子を育てながら、作り続けて
自分の一代では完成できなかったとしても
何世代か先の人たちの為に、働いていった人生は幸せだったんではないか。
こういう流れって世の中の伝統芸能や
エジプトのピラミッドもそう。
インディアンは自分の一生で物事を決めないと。
三世代先が幸せかどうかで、物事を決めているという事。
ドローナチャーヤはこの人生で
裏切られて、復習という気持ちを抱いたかもしれない。しかし、
自分を殺すこと分かっていて、弟子として受け入れて
教えを授けて
それで、敵味方になっても
世話になった人の義理を果たすために働き
弟子とも戦うという事。
これは自分の人生だけを幸せと考えていたら幸せになれなくて
義務を果たした先に、世話になった人の幸せを祈ったり
弟子たちの幸せを祈ったり
また、その先の弟子や子供たちのことを祈っているからできる行動で
その先にみんなで幸せに迎えるという。
自分の人生だけで考えたら、せいぜい子供の幸せを祈るくらいで
幸せになれず、固執してしまう。
自分の幸せが、みんなの幸せとも限らない。
たとえば五〇〇円の素敵な服が買えたとして幸せと考えた時に
インドネシアで子供たちが劣悪な環境で長時間働いていたとしたら
自分の幸せが誰かの不幸せで成り立っているという事があるということ。
これを考えた時、魂目線で幸せを祈らないと、
幸不幸としか見えてこない。
戦争もアメリカは幸せになれるかもしれないが
ベネゼエラは不幸せになるかもしれないし、
真逆になるかもしれないし、
また別な場所で、幸せと不幸せが生まれているかもしれない。
これだけ矛盾で成り立っているのがこの世界の仕組みだとしたら
物質次元では幸せを得られなそう。だけど
ヨガの教えは魂次元から見た時に幸せに迎えるとしたら
希望が持てますよね。
今感じている不公平感や
何かに執着してしまうことがあったとしても
将来に希望が感じなかったとしても
最初に話したサクラダファミリアのような流れな中にいたとしたら
誰かの不幸の上に幸せが成り立っていたとしても
すべて意味があり、幸せに向かうことができる。
その知識がヨガだとしたら
希望を感じますよね。
以上が
ヨガの教えが詰まっているという話でした。